親子げんか

 年末のほのぼのとした休暇というのに、朝から息子(中一)と喧嘩をしてしまった。元々は、iPhoneを新しく買い換える、ペアレント監視がないフリーなものにしてくれという要望であったが、なんだか話していくと拗れていく。

 

 元々、そんな年齢で贅沢すぎる、危険なものを与えるのにはどうしても抵抗したい。でももう子どもでなくなったといういうか、「自由」が欲しいようなのだわ。私からすると、自由でなく「娯楽」でしょと言いたくもなるが、とにかく自由すぎるネット接続ガジェットを与えるのには抵抗があったのだ。

 

 ここは少しづつ、話し合って合意点を見つけよう・・・と比較的冷静に話し合いを続けたつもり。だた、どこかのタイミングで、その息子との話し合い状況を、妻と裏で共有していたのが、息子にバレてしまったのがイケなかった。なんでも私一人で物事を決めてしまうと、妻から釘を刺されていたのが頭にあったためですが、息子にしたら関係ない話。

 

 結局、表裏ある「汚い大人」とのレッテルを息子に貼られてしまった・・・・。そんな憂鬱な年末年始になってしまった。

 

 

 

f:id:TOMASSOON:20171230120805j:plain

 そんな今、妻と息子を残して実家(京都)に帰省している。今年の夏に私の父親が亡くなったため、いろいろ自宅(東京)ではあるものの、私一人はなんとかお袋の元に戻りたかった。そして今更ながら思う・・・「オレも親父とぶつかってばかりいた」ってことを。

 今から思うと随分と理不尽でカミソリみたいな冷たい切り口で、ズサズサと理屈をぶつけて噛みついていた。それが、大人になっても基本的には継続していたような気がする。私が親父に噛みつき信用していないために、親父もまた心から私を安寧に見ておれず、ついつい口を出すという繰り返しだったような気がする。

 勉強の期待に応えられず、浪人をして、なんとか私立大学に通わせてくれたのに、親としての当たり前の務めでしょ・・なんて思ってたあの頃。

 自分に返って来ているのだと、この年になって切実に痛感する次第なのであります。

 

 結局、親父は看取れなかった。私だけ看取れなかった。

 

 

 さてこれからの父親としての私ですが、まだ悩んでいる。ネットの世界はあまりにも刺激が強すぎる。いろいろとブラウザのフィルターとか調べて丁寧に説明したつもり。それでも、子どもを信用して授けるかは・・・本当に難しい。親子としての対峙の仕方と、親子関係と絡みついてしまって、解くのが難しい。しばらく考え続けることとなります。

 

 まずは、身勝手だが仏壇の親父に手を合わせて、今の私を報告しようと思っている。

 

f:id:TOMASSOON:20171230113317j:plain