学習とは・・・まるで牛の反芻だね!

唯一続いている英語の学習、<span class="deco" style="font-weight:bold;">「Rosetta Stone」</span>。もはや、週間づいているので、当たり前のように消化しているけど、一見牛歩のようなカリキュラムの構成・・・。でもいろいろと工夫はされているとは、思うのですわ。


<span class="deco" style="font-weight:bold;font-size:large;">【最初は、もうええっちゅ〜ねん!と思うわな・・・】</span>

 同じ登場人物、同じ会話。これが何度も何度も出てきて、もうええっちゅーねんという気にもなるんだけど、会話する立場が代わっていたり、発音、ヒアリング、読解など課題パターンが変えられていたり。最初は、飽きさせない程度にやっているのかなという程度の認識でしたね・・・・。

 


<span class="deco" style="font-weight:bold;font-size:large;">【何度も何度も噛み砕く・・まるでヤギや牛の反芻のよう】</span>

 しかし今になって思うと、意識的に同じ題材でやらせているとも思うようになってきたわけです。限られた題材だけ、何度も何度もあえて繰り返えさせる。まるで脳にする込ませるかのようにね。これって、なんとなく・・・・ヤギや牛の反芻に似ているなと思うようになってきた。


<span class="deco" style="font-weight:bold;font-size:large;">【反芻するかからこそ、たっぷりと乳がでるのだ】</span>

 つまり、ヤギや牛は、反芻活動によって、より少しでも消化しやすくするわけだし、また限られた餌の中で、とことんエネルギー源を吸収しようとするのですね。これを、餌ではなく、情報に置き換えたならば、どうだろう? 限られた情報を繰り返し繰り返し、学習することによって、とことん情報が身につくように吸収力を高めようとしているみたいと・・・。


<span class="deco" style="font-weight:bold;font-size:large;">【スピード化の時代にあって、反芻活動は大事だね!】</span>

 時には、スピードが大切であるし今やそういう時代。けれど、反芻しながら自分の中で頭に刷り込んだ話、頭のなかできっちりと記憶の倉庫に整理した知識は、どんな局面であろうと、ブレない教養となるという気がするのです。情報を腑に落ちるまで、何度も何度も咀嚼して腹に収める。長期的なブレない知識を身につけるには、スピード化の時代にあっても、「何度も繰り返す」ことが、本当に必要なのではないだろうか?