話しながら考える・・・それが会議だ
<span class="deco" style="font-weight:bold;font-size:large;">【たまに空気が凍りついた会議に出会いませんか?】</span>
説明者として話した後、参加者から意見が全くでないでシーンとする会議。また、意見が出るのはいいんだけど、まとまりなく結論がでない会議。皆さんには、どちらも経験がたくさんありませんか?また、その一方で、会議という大げさなのではなく、「打合せ」とか称して少人数でする会議は、割りとスムーズに運営できたりして・・・・。さて、この違いの差って何なのでしょう。
<span class="deco" style="font-weight:bold;font-size:large;">【考えてから発言じゃない。発言しながら考えるんだ!】</span>
上述の差の違いは、「話しながら考える」ことができているか、できていないかの差だと・・・・何となく思うのです。例えば、上司と部下、同僚同士などの二人きりの会話では、お互い考えながら、あることを話し合うでしょう。一つの物事をさぐりあてるプロセスがそこにあるわけで、話の最初と最後で結論が変わっていたり、また紆余曲折しても、当たり前な気楽さがある。もっと簡潔に言うと、「会話をしているうちに、段々と分かってくる」ということありませんか?と言いたい。
<span class="deco" style="font-weight:bold;font-size:large;">【静かな会議は、もっとフランクな気分になろう】</span>
例えば、最初の「誰も発言しようとしない会議」だと、格好悪い意見を出せない空気があったりするのでは?また、論理的に話すことを意識しすぎて、違った意見があっても説得材料が不十分なため、それがまとまるまで発言できないとか・・・。場の空気も千差万別でしょうが、「会議はそもそも、ブレーンストーミングだよ」と割り切りも必要です。それぞれの意見オーディションでもなんでもありません。
<span class="deco" style="font-weight:bold;font-size:large;">【うるさい会議ほど、相手の話をまず聞く姿勢をとろう】</span>
また次の「意見がでるのだがまとまらない会議」については、ブレーンストーミングが過ぎて「みんなで纏め上げる」という意識が不足してますよね。相手の意見と自分の意見。意見と意見をぶつけ合うだけみたいな・・・・。
ということで、もう少し補足するとこうなります。「自分の思いを素直に話し、相手の話を素直に聞き、それぞれ考えてわからないことを質問する。」なんだ・・・ブログに書くほどのことでもないのですが、<span class="deco" style="font-weight:bold;font-size:large;">皆さんの周りには、まるで儀式のような会議、参加することに意義がある会議・・・・。ありませんか?</span>
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